| 第19回 | 2026年7月14日 | 『物質と記憶』第二章 | ||
| • 導入部 | ||||
| • 記憶力の二つの形態 | ||||
| (pp.107-126) | 第二章に入り、習慣的記憶(暗記=行為)と自発的記憶(エピソード=写真的記録)の「本性の差」を検討。タルヴィングの記憶分類の源流、ギブソンのアフォーダンス理論との親近性、「無意識の経験まですべて記録されるのか」問題を議論。最大の対立軸「純粋記憶は変容するか」(信原vs鈴木)は合宿へ持ち越しとなった。今回から太向さんが参加。8月・9月の定例は休止し、9/16-17の合宿で「運動と記憶」「記憶と運動」(pp.126-167)を読む。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、大家、太向 | ||
| 第18回 | 2026年6月9日 | 『物質と記憶』第一章 | ||
| • イマージュの本来の拡がり | ||||
| • 純粋知覚 | ||||
| • 物質の問題への移りゆき | ||||
| • 記憶の問題への移りゆき | ||||
| • 物質と記憶力 | ||||
| (pp.82-103) | 第一章の結論部を読了。知覚を「身体の行為能力に応じたイマージュの切り出し」と定義して唯物論と観念論の双方を乗り越える試みを精査。「本性の差」と「時間の厚みの程度の差」の間の緊張(二元論と一元論の相克)、逆円錐と平面の接点という心身問題の困難、生成AI(LLM)とベルクソンの知性/精神の区別などが議論された。次章から記憶の「実験的検証」へ。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、大家 | ||
| 第17回 | 2026年5月12日 | 『物質と記憶』第一章 | ||
| • イマージュと実在 | ||||
| • イマージュの情感的感覚 | ||||
| • 情感的感覚の本性 | ||||
| • 情感的感覚から切り離されたイマージュ | ||||
| (pp.63-82) | 外的世界は「拡がりなき感覚の寄せ集め」から構成されるという錯覚に関わる三つの事実(感官の教育、神経の特殊エネルギー仮説、情感と痛みの本性)を検討。情感を「距離ゼロの知覚=身体内部の現実的行為」とする議論をめぐり、痛みの機能、快感・慢性痛への適用可能性、ギブソンのアフォーダンス理論との異同などが論じられた。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、大家 | ||
| 第16回 | 2026年4月6日 | 『物質と記憶』第一章 | ||
| • イマージュの選別 | ||||
| • 表象と行為の関係 | ||||
| (pp.40-63) | 神経系の発達と行為の非決定性、「純粋知覚」と減算の理論(知覚はイマージュの総体からの選別)、知覚と身体運動の不可分性を確認。純粋知覚という理念的想定の妥当性、二元論と一元論の緊張、ギブソンのアフォーダンス理論との親和性、「時間の凝縮(リズム)」による物質と精神の接続などをめぐって議論した。 | 信原、七沢、染谷、原島、鈴木、米倉 | ||
| 第15回 | 2026年3月2日 | 『物質と記憶』第一章 | ||
| • 現実的行動と可能的行動 | ||||
| • 表象 | ||||
| • 実在論と観念論 | ||||
| (pp.21-40) | 「イマージュ」を日常的・前哲学的概念として据え、そこから観念論/実在論を批判しつつ心身関係論を展開する導入を検討。身体を「行動の中心」と捉える点(アフォーダンス知覚との接点)や、同一イマージュが二つの完結したシステムに属するという問題設定を確認。今後「純粋知覚」「記憶」で本格化する見通しを共有。 | 信原、七沢、染谷、原島、鈴木 | ||
| 第14回 | 2026年2月2日 | 『物質と記憶』 | ||
| • 第七版の序 | ||||
| (pp.9-20) | 精神と物質の関係解明という全体テーマを確認し、観念論/実在論批判を踏まえた二元論的立場が明示される点を検討。訳者解説も参照しつつ、イマージュ論が最終的に二元論を維持できるのか(結局一元論へ傾くのではないか)という批判的視点を共有した。 | 信原、七沢、染谷、原島、鈴木、米倉、大家 | ||
| 第12回 | 2025年12月1日 | 『時間と自由』第三章 | ||
| • 真の持続と因果性 | ||||
| (pp.238-261) | 決定論者の「心的先行者による行為決定」の最終方策を、因果性原理と「前駆的形成」(数学的/心理的)の分析から批判。物活論への批判と、その擁護可能性も議論された。 | 信原、七沢、染谷、原島 | ||
| 第11回 | 2025年11月17日 | 『時間と自由』第三章 | ||
| • 真の持続と予見 | ||||
| (pp.219-237) | 天文現象は時間の縮約により予見可能だが、意識的行為は縮約不可能ゆえ予見不能とする議論を検討。天文/心理の差の根拠や、習慣的行為の予見可能性などが論点となった。 | 信原、七沢、染谷、大家、原島、鈴木、米倉 | ||
| 第10回 | 2025年9月19日 | 『時間と自由』第三章 | ||
| • 自由行為 | ||||
| • 真の持続と偶然性 | ||||
| (pp.195-219) | 合宿2日目。自由な行為と偶然性をめぐり、行為を「選択の枝分かれ」ではなく、自我の全体的変化の結実として捉える見方を中心に議論。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、原島、大家 | ||
| 第9回 | 2025年9月18日 | 『時間と自由』第三章 | ||
| • リード文 | ||||
| • 物理的決定論 | ||||
| • 心理的決定論 | ||||
| (pp.169-195) | 合宿1日目。従来の自由擁護/否定の共通前提をベルクソンが批判する構図を確認し、心理的過程の「最中」への視点移動の含意を議論。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、原島、大家 | ||
| 第8回 | 2025年8月4日 | 『時間と自由』第二章 | ||
| • 内的多様性 | ||||
| • 真の持続 | ||||
| • 自我の二つの様相 | ||||
| (pp.146-167) | 質的多様性と量的多様性の関係、言葉と質的多様性の表現可能性、外的世界と等質的時間の成立関係などが主要論点。 | 信原、七沢、染谷、鈴木、米倉 | ||
| 第7回 | 2025年7月7日 | 『時間と自由』第二章 | ||
| • 持続は測られうるか | ||||
| • エレア学派の錯覚 | ||||
| • 持続と同時性 | ||||
| • 速度と同時性 | ||||
| (pp.127-145) | ベルクソンの持続概念と、アキレスと亀のパラドクスの解決法について議論。意識の持続と物理的時間の関係、また運動の不可分性というベルクソンの主張の妥当性が検討された。 | 信原、七沢、染谷、大家、鈴木、米倉 | ||
| 第6回 | 2025年6月9日 | 『時間と自由』第二章 | ||
| • 数的多様性と空間 | ||||
| • 空間と等質的なもの | ||||
| • 等質的時間と具体的持続 | ||||
| (pp.93-126) | ベルクソンにおける差異と同一性の概念について議論。感覚の質と空間性の関係、また物理的性質と空間の関係についての検討がなされた。 | 信原、七沢、染谷、大家、鈴木 | ||
| 第5回 | 2025年5月12日 | 『時間と自由』第一章 | ||
| • 心理学者の誤り | ||||
| • 強度と深さの区別 | ||||
| • 感情の深さと反射運動 | ||||
| (pp.70-92) | 感情の強度と深さの区別について検討。ベルクソンの質と量の峻別が持つ問題点や、感情と身体運動の関係についての議論が行われた。 | 信原、七沢、染谷、大家 | ||
| 第4回 | 2025年4月14日 | 『時間と自由』第一章 | ||
| • 意識状態の強度と原因の大きさ | ||||
| • 中間的意識状態の例 | ||||
| (pp.47-69) | 意識状態の強度と原因の大きさの関係について議論。心的状態の質的変化とその空間的表象の問題について検討された。 | 信原、七沢、染谷、原島 | ||
| 第3回 | 2025年3月10日 | 『時間と自由』第一章 | ||
| • 感情の強度と倫理学 | ||||
| • 審美的感情と心的状態 | ||||
| (pp.25-46) | 感情の強度と倫理的判断の関係について議論。また審美的感情における質的変化と量的表現の関係についての検討が行われた。 | 信原、七沢、大家、染谷、原島 | ||
| 第2回 | 2025年2月10日 | 『時間と自由』第一章 | ||
| • 強度の概念 | ||||
| • 努力の感覚 | ||||
| • 心的状態の強度 | ||||
| (pp.5-24) | 心的状態の強度という概念の検討。ベルクソンによる質と量の区別、および努力の感覚における質的多様性について議論された。 | 信原、七沢、大家、染谷、原島 | ||
| 第1回 | 2025年1月16日 | 『時間と自由』序論 | ||
| • 問題設定 | ||||
| • 自由の問題 | ||||
| • 時間と空間の区別 | ||||
| (pp.1-4) | ベルクソン哲学の基本的枠組みについての導入。自由の問題と、それを解決するための時間と空間の区別という方法論について議論が行われた。 | 信原、七沢、大家、染谷、原島 |
ベルクソン『時間と自由』序言・第一章 レジュメ(信原幸弘) 〈Well-being PJ〉|一般財団法人 意識研究財団
レジュメ ベルクソン『時間と自由』第二章(信原幸弘)|一般財団法人 意識研究財団
※各回の記録には参加者の議論内容と所感が含まれています。この読書会は2025年1月から始まり、ベルクソンの『時間と自由』を順を追って精読しています。
出席者:信原、七沢、染谷、鈴木、大家、太向
今回から『物質と記憶』(杉山直樹訳、講談社学術文庫)の第二章に入り、冒頭の導入部と「記憶力の二つの形態」の節(pp.107-126)を読んだ。今回から新たに太向さんが読書会のメンバーに加わることになった。
■今回読んだ第二章冒頭〜「記憶力の二つの形態」(pp.107-126)の概要
・導入部では、第1章の身体論から検証すべき3つの帰結が導かれる。(1)過去は「運動機構(習慣)」と「独立した記憶(記憶イマージュ)」という2つの異なる形態で残存する。(2)再認は、対象の側から生じるときは運動を通じて、主体の側から能動的になされるときは表象を通じてなされる。(3)記憶から運動への移行は気づかれないほど連続的な段階を経て起こり、脳の損傷は運動化を妨げても記憶そのものを破壊しない。
・身体は「過去を未来へと押し進める動的先端」であり、脳は過去の表象が現在に送り込み続ける最先端の延長部、つまり過去の表象と現実の行為との「接合点」であって、記憶の貯蔵庫ではない――というベルクソン独特のテーゼが示される。
・本節の核心は、詩句の暗記と、個々の朗読の思い出との対比だ。学課の記憶(暗記)は、同じ努力の反復によって形成される習慣であり、復唱という行為として一定の時間を要し(「直に生きられる」)、日付を持たない。他方、例えば、3回目の朗読はこうだったという思い出において想起されるのは、一回的・非反復的で日付を持つエピソードであり、有用性の下心なしに、写真のように自動的・自発的に精神に刻まれる。想起では20分の朗読を一瞬に圧縮することさえできる。この両者の違いは程度の差ではなく本性の差である、と論じられる。
・吠えながら飼い主を迎える犬が行う再認は、運動的記憶だけで説明される。過去をイマージュとして呼び起こすには、現在の行為から自分を引き離す(デタッチメントする)必要があり、それができるのは人間だけだ。ここから、心理学者が研究してきた「習得される記憶」はむしろ例外であり、「記憶力に照らされた習慣」にすぎない、という心理学批判が展開される。