| 回数 | 日付 | 読んだ作品 | AI要約 |
|---|---|---|---|
| 第18回 | 2026年7月25日(土) | 「[Largoや青い雲滃やながれ]」(『春と修羅』第二集) | 「[Largoや青い雲滃やながれ]」1篇のみ読了(「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」以降は次回へ)。詩の素晴らしさで全員の感想が一致し、賢治の心象世界の熟成した姿と評された。議論は詩中の農作業から当時の農業政策のひどさへ展開し、童話「税務署長の冒険」の元になった猫ノ沢事件(密造酒摘発)や、賢治と資本主義の関係が話題に。続きは9月合宿の夜の部で「税務署長の冒険」を題材に議論することになった。 |
| 第17回 | 2026年6月20日(土) | 「未来圈からの影」「朝餐」(『春と修羅』第二集) | 議論が盛り上がり2篇のみ読了。「未来圈からの影」はトシの死の喪失感を乗り越えた力強さと、修羅が剥き出しになった異色の表現が話題に。「朝餐」の明るさからは賢治の新しもの好き(舶来好み)と、漱石と対比した個人主義受容の問題が議論され、賢治における個人と世界全体の幸福の捉え方が今後の検討課題になった。 |
| 第16回 | 2026年4月25日(土) | 「旅程幻想」「氷質の冗談」(『春と修羅』第二集 pp.137-141) | 「旅程幻想」では詩題の「幻想」がどこを指すかから、賢治における幻想と心象風景・現実の関係が議論に。幻想は現実と明確に区別されるというより地続きで、現実と同等の実在性(行動への影響力)を持つのではという見方が出た。「氷質の冗談」は教師時代の学校を思わせる軽妙洒脱でコミカルな詩として味わった。次回は第二集の残り(「未来圈からの影」~「告別」)へ。 |
| 第15回 | 2026年4月5日(日) | 「[夜の湿気と風がさびしくいりまじり]」「善鬼呪禁」「母に云う」(pp.131-136) | 5/30シンポジウムの打合せを兼ね神田の貸会議室で開催。「業の花びら」の解釈から「産業組合青年会」との関連(開発と信仰への両義的視点)が指摘され、詩の読み方をめぐって信原から「反照的均衡」の概念が提示された。賢治の「さびしさ」と「美しさ」の葛藤、業即花びら・修羅即春という「即」の捉え方も議論に。 |
| 第14回 | 2026年2月28日(土) | 「[この森を通りぬければ]」「薤露青」「春」「秋と負債」「産業組合青年会」(『春と修羅』pp.119-130) | 静寂と華麗さ(色彩・音響)が相互に引き立て合う重層性を中心に議論。「鳥がギラギラ鳴いている」など、騒々しさと内面の静けさが同居する表現を「色即是空/空即是色」的な両面性として捉えた。第一集→第二集で色彩と静寂のバランスが変わり、より落ち着き(悟り)に近づくのではという見立ても出た。生き生きとした「存在」の中で妹の「不在」を際立たせる手法にも注目。 |
| 第13回 | 2026年1月24日(土) | 「[いま来た角に]」「曠原淑女」「馬」「牛」「鳥の遷移」(『春と修羅』pp.110-118) | 「[いま来た角に]」の「骨」の唐突さ、「曠原淑女」の底抜けの明るさと「ウクライナの舞手」の比喩、「馬」の死の淡々とした描写と人々の受け止め方、「牛」の明るい日常性などを対照的に検討。「鳥の遷移」は鳥に妹の面影を重ね、墓の周辺に留まってほしいという切なさと、澄んだ昇華の気配が同居する表現として読んだ。次回はpp.119-130へ。 |
| 第12回 | 2025年12月27日(金) | 「休息」「烏」(『春と修羅』pp.107-110) | 「休息」と「烏」を精読し、先駆形など周辺情報を参照して読むべきか、詩そのものとして味わうべきかをめぐって議論。「烏」の「一本の異常に延びた心」など難解な表現の指示対象や語感について多様な解釈が出た。次回は「[いま来た角に]」「曠原淑女」「馬」「牛」「鳥の遷移」(pp.110-118)へ。 |
| 第11回 | 2025年11月28日(金) | 「五輪峠(先駆形A)」「晴天恣意」「早春独白」(『春と修羅』pp.97-106) | 「五輪峠」の由来(五輪の塔か五つの峯か)や雪景のイメージを検討。「晴天恣意」の「数字」が何を指すか(成績・経理・肥料計算など)を議論。「早春独白」の「あなた」が誰か(性別・妹トシ説など)について意見が分かれた。 |
| 第10回 | 2025年10月10日(金)-11日(土) | 『農民芸術概論綱要』 | 山形県高畠町で合宿を実施。賢治の農民芸術の理念を議論し、職業芸術への批判と実生活に根ざした芸術の重要性について考察。無意識からの創造や、芸術を通じた労働の変革について深く話し合った。 |
| 第9回 | 2025年9月26日(金) | 「噴火湾(ノクターン)」「過去情炎」「冬と銀河ステーション」 | 妹とし子の死後の旅で書かれた作品を読み、喪失感と鎮魂の思いを考察。「車室の軋り」の繰り返しや、「水いろの過去になった情炎」など印象的な表現について議論した。 |
| 第8回 | 2025年8月22日(金) | 「青森挽歌」 | とし子の死をめぐる濃密な思いが多彩な表現で吐露される長編詩を読む。多視点性と内面の葛藤、死後も魂がこの世にとどまることへのこだわり、「銀河鉄道の夜」との関連性について議論した。 |
| 第7回 | 2025年7月25日(金) | 「マサニエロ」「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」 | 妹トシの死を描いた作品を通して芸術性と人間の悲しみの本質について議論。「永訣の朝」の芸術的高みと、詩人が極限状況でも詩を紡ぎだす本質を考察した。 |
| 第6回 | 2025年6月27日(金) | 「林と思想」「青い槍の葉」「報告」「岩手山」「高原」「原体剣舞連」 | 「青い槍の葉」のリズム性や「原体剣舞連」における生命の根源的描写に注目。特に剣舞が表現する生命の宿命的な姿と必然の相について深く考察した。 |
| 第5回 | 2025年5月30日(金) | 「小岩井農場パート一、パート九」 | 小岩井農場を題材にした作品を読み、賢治の自然観と農業への思いを分析した。 |
| 第4回 | 2025年4月25日(金) | 「陽ざしとかれくさ」「雲の信号」「休息」「蠕虫舞手」 | 自然現象と人間の内面を結びつける賢治の独特な視点について議論。特に光と影の表現方法に焦点を当てた。 |
| 第3回 | 2025年3月28日(金) | 「春と修羅」「風景とオルゴール」「恋と病熱」 | 賢治の代表作「春と修羅」を中心に、彼の内面における修羅の世界と現実世界の葛藤について考察した。 |
| 第2回 | 2025年2月28日(金) | 「サキノハカ」「鳥箱先生とタマガルタ」「序」 | 初期作品に見られる賢治の文学的特徴と独自の世界観について意見交換。特に「鳥箱先生とタマガルタ」のファンタジー性に注目した。 |
| 第1回 | 2025年1月31日(金) | 打ち合わせ | 読書会の進め方や今後の読む作品の選定について話し合い、宮沢賢治研究の方向性を確認した。 |
出席者:信原、米倉、松村、染谷
・今回は「[Largoや青い雲滃やながれ]」を読んだ。読む予定にしていた「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」「鬼言(幻聴)」「告別」は、時間切れのため、次回に回すことにした。
・「[Largoや青い雲滃やながれ]」は素晴らしい詩であった。どの点で素晴らしいかについては、参加者それぞれで感じるところに多少の違いがあったものの、とにかく素晴らしいという点では、全員の感想が一致した。賢治の心象世界のひとつの熟成した姿がここにあり、描かれたどの要素も互いに共鳴し合い、統合と調和を示しつつも、どの要素も全体の中に埋没しないで、それ固有の光と音を放っているような感じがする。とにかく素晴らしい。
・この詩に感嘆しつつも、全体の議論は、この詩に詠われた農作業の様子から話が展開して、当時の日本の農業政策のひどさに焦点を合わせたものとなった。賢治には「税務署長の冒険」という童話があるが、この童話のもとになった事件が1916年に秋田県であった。それは、密造酒摘発に怒った農民たちが税務署職員に暴行を加えたという猫ノ沢事件である。その当時、日本では、お酒の自家醸造が禁止されており、農家でも、自分でお酒を造って、それを飲むことができなかった。この話を紹介した参加者は、これはひどくないですかと怒りをこめて問いかけ、その怒りに触発されて、他の参加者も全員、「そうですね」と怒りを共有した。そして、そのような自家醸造を禁じる背景となっている資本主義の問題へと話は拡大していった。賢治は資本主義をどう見ていたのか。みずからは資本主義のもとでの裕福な家の生まれだが、その一方で、資本主義のもとで虐げられている農民への同情・憐憫を禁じえない。賢治は資本主義に抵抗したのか。この議論は、ほとんど「[Largoや青い雲滃やながれ]」をそっちのけにして四方八方へと拡散し、収束に向かうことはなかった。そこで、9月の合宿の夜の部で、「税務署長の冒険」などを題材にしながら、またとことん議論しようということで、とりあえず幕切れとなった。
・次回は、「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」「鬼言(幻聴)」「告別」を読む。
◆所感(信原)
「[Largoや青い雲滃やながれ]」は、光と陰が交錯しながらも、その全体を包む伸びやかな明るさがとても印象的だ。まず、冒頭は、「Largoや青い雲滃やながれ/かりんの花もほそぼそ暗く燃えたつころ」で始まる。薄紅色のかりんの花が「ほそぼそ暗く燃えたつ」というのが、陰影をはらんだ可憐さとでも言うべき深い味わいを感じさせてくれる。続いて、「延びあがるものあやしく曲り惑むもの/あるいは青い蘿をまとうもの」と詠われる。「あやしく曲り惑むもの」とはいったい何であろうか。定かには想像できなくても、何か異様なものの幻惑的な雰囲気が怪しげに伝わってくる。
次は風だ。「風が苗代の緑の氈と/はんの木の葉にささやけば」と詠われる。ここでは、風がささやくという表現がそよ風のもつやさしい力を存分に示しているようで、じつに清々しい。そして、それに呼応して「馬は水けむりをひからせ/こどもはマオリの呪神のように/小手をかざしてはねあがる」と詠われる。子供が小手をかざしてはねあがる姿が、ちょっとコミカルでほほえましい。風のささやきと呼応しているかと思うと、じつに趣深い。そしてまた風が詠われる。「・・・あまずっぱい風の脚/あまずっぱい風の呪言・・・」。もう言いようのない甘美な呪術的世界だ。
呪術的な呼応はつぎの何気ない描写にも感じられる。「かっこうひとつ啼きやめば/遠くではまたべつのかっこう」。かっこうの鳴き声も呼応し合う。これに続く「畦はたびらこきんぽうげ/また田植花くすんで赭いすいばの穂・・・」にも、畦と田の草花の呼応が感じられる。万物交感の世界だ。
このような呪術的な霊感は苛酷な労働に甘美な幻想をも産む。「つかれ切っては泥を一種の飴ともおもい/水をぬるんだ汁ともおもい/またたくさんの銅のランプが/畦で燃えるとかんがえながら/またひとまわりひとまわり/鉛のいろの代を掻く」。泥を水と思い、水を汁と思うというのは、疲労の極致にありながら、それゆえにこそ立ち現れてくる甘美な幻想を示している。しかし、けっして薬物による病的な幻想ではない。森羅万象が共鳴し合う世界において、疲労の極致におのずと立ち現れてくる幻想である。それはいわば実在が孕む幻想であり、それなくして実在がそのような実在ではありえないような幻想だ。
森羅万象の共鳴の世界はさらに続き、詩の最後は「湿って桐の花が咲き/そらの玉髄しずかに焦げて盛りあがる」と結ばれる。何という豊饒な世界であろうか。生命の輝きが、その陰も含めて、余すところなく描き出されている。まさに命の曼荼羅だ。
出席者:信原、米倉、松村、岡田
・今回は「未来圈からの影」と「朝餐」を読んだ。読む予定にしていた「[Largoや青い雲滔やながれ]」「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」「鬼言(幻聴)」「告別」は、時間切れのため、次回に回すことにした。
・「未来圈からの影」では、トシの死による喪失感をようやく乗り越えて、詩に力強さが戻ってきたように感じられるとの所感が出た。たしかにそうだ。この詩では、「影や恐ろしいけむりのなかから/蒼ざめてひとがよろよろあらわれる/それは未来圈からなげられた/戦慄すべきおれの影だ」と言われながらも、そこには恐怖におののくような響きはまったくない。戦慄すべき自分の姿に真っ向から対峙しようとする力強さが感じられる。
・「朝餐」は、じつに明るい伸びやかな詩だ。修羅の影がほとんど感じられないほどの明るさと軽やかさがある。しかも、焼いていたせんべいを「赤髪のこどもがそばから一枚くれという/人は腹ではくつくつわらい/顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった」と、コミカルな描写も入っている。このようなのどかな詩を味わいながらも、議論になったのは、賢治の新しもの好きについてであった。賢治には西洋かぶれかと言いたくなるような新しい舶来ものを好む傾向が強く見られる。この詩でも、せんべいのことを「白い小麦のパンケーキのおいしさよ」と言い、それを「競馬の馬がほうれん草をむさぼり食うように/アメリカ人がアスパラガスを喰うように/すきとおった風といっしょにむさぼりたべる/こんなのをこそspeisenとし云うべきだ」と言う。